古事記を読むとは思わなかった

全然興味のなかった「古事記」。

図書館で「田辺聖子古事記」と言うのを見つけたから借りてきた。

心境の変化は萩原規子さんの「勾玉」シリーズ繋がり。

荻原規子さんは子供のころ読んだ「古事記」が下地で
この壮大なファンタジーを書き下ろされた。

田辺聖子さんの古事記は判り易かった。
確かに神様の名前は長いし難しいし端から覚える気はなし。

しかし勾玉シリーズで出てきた神様の名前には親しみを感じた。

古典「古事記」とファンタジー「勾玉シリーズ」とが合体して
私の中で理解が深まった。

子供のころ昔話として読んでいた「因幡の白兎」「海彦山彦」も
古事記の中の話とは驚いた。



あるお坊さんの法話で引っかかっていたことがある。

イザナキノミコト(男神)は亡きイザナミノミコト(女神)を忘れられず
黄泉の国まで意を決して会いに行かれた。

絶対に振り返って私を見てはいけないと言うイザナミノミコトの頼みに
背いて振り返ったイザナキノミコトが見たものは・・・

ウジ虫とかに覆われて無残なイザナミノミコトの躯だった。

死んでしまったものは元には戻らないのだからいつまでも
悲しいではいけない!

と言うような内容の法話に私は気分を概していた。

父の法事の法話にふさわしくなかった!とずっと勘に障っていたのである。

「空色勾玉」ではその後、もう一度熱愛を伝えたいイザナキノミコトの
物語が膨らませてありハッピーエンドになっている。
おかげで私の気分も治っていたわけで・・・

それを踏まえて古事記のこのエピソードは法話より もっと怖かったが

面白かった。


神話なのにパンドラの箱を開けた時出てきた四苦八苦が諸に顕わに表現されている。

嫉妬、殺戮、裏切り、近親相姦まで出てくる。

ほんま、びっくり!

そういやギリシャ神話も似たような・・・

今世で普通の人間である私たちが四苦八苦に悩むのは当たり前なのだよね。

神様でも同じ以上の苦しみを味わわれているのだもの・・・

そう思うととても楽になってきた。

結局、感情は神代の時代から全然変化がない?
進化がない?
いやいや、そこを修行で達観できるようになるために何度も人間は
生まれ変わってこなければならないのだろう。


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ところで図書館の本ほどバイ菌だらけなものもない。

見知らぬ何万人もの人々の手垢がついている。

この古事記もとても汚れてて気持ち悪い。

だから新聞のチラシで作ったブックカバーをかけ、
使い捨てビニール手袋をしてページが超めくりにくい状態で読書・・・


私の本棚は既にあふれている。

掃除のうんちく本には「本棚からあふれた本は捨てましょう!」
「1冊買ったら1冊捨てましょう」と謳う。

基本 買った本を捨てるのは私の性分に合わない。

だから余程の本でない限り買わないことに決め、

一読したい本は図書館の本で我慢することにした。

しょうがない・・・