【スミレほど小さき人に生まれたし】


我が家のスミレ(エイザンスミレ)

エイザンスミレ

 ※草丈5〜15cmの多年草
 葉は長さ幅とも3〜5cm、大きく3裂しさらに裂けているのが特徴。
 本州〜九州などの林下や斜面などやや湿った所、日のあたる所に分布。
 



漱石の小品『文鳥』より)
「咽喉の所で微(かすか)な音がする。
また嘴を粟の真中に落す。
また微な音がする。
その音が面白い。
静かに聴いていると、丸くて細やかで、しかも非常に速(すみや)かである。
菫ほどな小さい人が、黄金の槌(つち)で瑪瑙(めのう)の碁石でもつづけ様に
敲(たた)いているような気がする」。
すなわち、人として生まれ、しかし人々の作る仕組みには入らず、
ただ自分の好きな美的な行為に熱中していればよい。そんなふうな人が、
漱石の理想とした「菫程な小さき人」であったのだろう。
すると「菫」から連想される可憐さは容姿にではなくて、
むしろこの人の行為に関わるとイメージすべきなのかもしれない。
漱石俳句集』(岩波文庫)所収。(清水哲男

18歳のころ、花に例えたら「スミレ」と言ってもらったことがある。

ちょっと嬉しかったのを覚えている。


みつはしちかこの漫画「小さな恋の物語」の中で見つけた言葉。

【スミレほど小さき人に生まれたし】

彼女の俳句かと思っていたが後に夏目漱石の俳句と知りびっくりしたものである。

このたび検索していたら↑のような謂われがあるのにまた目から鱗だった。

人として生まれ、しかし人々の作る仕組みには入らず、ただ自分の好きな美的な行為に熱中していればよい。そんなふうな人が、漱石の理想とした「菫程な小さき人」

特にこの解釈に共鳴した私であった。